【週刊 LifeCrescendo】「向いてないのかな」が顔を出した日に

こんにちは、LifeCrescendoのちあきです。

月に1回、親子広場でベビーマッサージの教室をさせていただいています。「触れることは、こどもにとってもお母さんにとっても大事なんですよ」と、毎回お伝えしている本人です。

その帰り道、へとへとになって、こう思う日があります。

「……で、私は?」

伝えている当人が、いちばんできていない。そう気づいた瞬間に、ちいさく「向いてないのかな」が顔を出すんですよね。先週お届けした2本は、まさにその「向いてないのかな」のお話でした。

今週のハイライト記事

失敗は「向いていない」の証明じゃない|自分を責めてしまう時に思い出したいこと

失敗した瞬間、私たちは「失敗した、だから能力がない」と、つい2つをイコールで結んでしまいます。でも、そこは本来つながっていないんですよね。失敗が知らせてくれているのは、能力の有無ではなく、「本当はできるのに、まだ身についていないことがありますよ」という場所のほう。イコールを外すだけで、同じ出来事の意味が変わります。

「失敗=ダメな証拠ではなく、失敗=伸びしろの在りか」
(記事より)

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「私、向いてないのかも」と思ってしまう日の私へ

同じテーマを、noteのほうにも書きました。小学生のころ、体型のことを言われるたびに「もー!」と言い返していた私の話です。あの「もー!」の正体は、傷ついていたのではなくて、理想と現実のギャップを自分で認められなかっただけでした。どうでもいいことでは、そもそも痛みもしないんですよね。

「傷つくというのは、弱さのようでいて、理想がある証拠でもあるんです。」
(記事より)

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編集後記

先週の2本を並べてみて、はっきりしたことがあります。落ち込む日にほしいのは、慰めではなく、順番の整理なんですよね。失敗と能力を切り離す。傷つきを、理想があった証拠として置き直す。それだけで、夜の反省会がずいぶん短くなります。

そのうえで、今週はもう一歩だけ先へ行きます。落ち込んだ日は、そんなつもりがなくても、気づかないうちに受け取るほうを待ってしまっていることがあります。でも実は、あたたかさは動いた側から先に生まれるらしい、という話を来週お届けします。こどもの背中に手を伸ばしたとき、先にあたたまっていたのは私のほうだった。そんなお話です。

それから、もうひとつだけ。手を伸ばす元気すら出ない日は、気持ちの問題ではないこともあります。夏のあいだ、そうめんやアイスに寄っていた分、体の材料が薄くなっているかもしれません。朝ごはんに、自分のぶんのたまごをひとつ。まずはそれくらいから、一緒に戻していきましょうね。

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ライフコーディネーター|ちあき
哲学医/小児外科専門医|小森広嗣