LifeCrescendoは、小森こどもクリニックの診察室から生まれた、教育の会社です。代表は、元・特別支援学校教諭で、栄養カウンセラーのちあき。小児外科専門医の小森広嗣が、医学の面から支えています。
診断や治療は、医療機関の役割です。ここでお渡しするのは、その先にある「暮らしの中で、どう続けていくか」の学びと伴走です。

元・特別支援学校教諭 | 代表・栄養カウンセラー | ちあき
生活と共感で、家庭に届ける
3児の母として、わが子の体調不良に栄養療法で向き合い、3ヶ月で変化を実感した経験があります。その実体験が、今のすべての活動の原点です。

小児外科専門医・医学博士 | 小森 広嗣
医学と原則で、設計図を描く
何か一ピースが足りない。医学だけでは埋まらなかったその一ピースを探してきたことが、いまの私を支えています。
まず栄養で体の土壌を整え、その上に心を育てる。高度専門医療と地域医療の両方を通ってきた経験と、分子栄養学の知見を掛け合わせ、体と心の両面からご家族の土台づくりを支えています。
代表の、ちあきです
はじめまして。LifeCrescendo代表・栄養カウンセラーの、ちあきです。
原点は、保育園のころにあります。仲のよい女の子がいました。いま思えば、発達の特性があったのかもしれません。挨拶をしても、返ってこない子でした。
それでも、どうしても、その子と挨拶を交わしたかった。「おはよう」だけでもいい。そう思って、毎日、自分なりのやり方で働きかけ続けました。靴を履いているときに、名前を呼んでみたこともあります。
結局、その子から「おはよう」が返ってくることは、ありませんでした。
返ってこなかったから、その「どうしても」は、私の中に残り続けたんです。高校生になって進路を決めるとき、思い出したのは、あの子のことでした。弘前大学の教育学部で障害児教育を学び、特別支援学校の教員になりました。教えていたのは、音楽です。同じような背景を持つ子たちに、笑顔を取り戻すこと。——教室でも、いまも、やろうとしていることは変わっていないんです。
実は、私自身、四歳になって、ようやく言葉が出た子どもでした。言葉が遅かった私が、言葉の出ない友達と、どうしても話したかった——私は、そこから始まっています。
育ったのは、岩手の海辺の町です。親戚に漁師がいて、食卓にはいつも、とれたての魚が並んでいました。栄養の話をするとき、最初に思い出すのは、栄養素の名前ではなくて、あのころの食卓なんです。
もうひとつ、転機がありました。先に学びはじめたのは、夫でした。家の中で、言うことや、やることが、少しずつ変わっていく。それを、いちばん近くで見ていました。しばらくして、自分から「私も学びたい」と言いました。誰かに勧められたからではなく、隣で起きた本物の変化が、私の入口だったんです。
そこから学び続けて、いまは「7つの習慣®」実践会の認定ファシリテーターとして、ご家族に伝える側に立っています。教わる側から、伝える側へ。あの「私も学びたい」から、ここまで来ました。
いま、していること
- 栄養カウンセラーとして、ご家族の食卓に伴走しています
- 「7つの習慣®」実践会 認定ファシリテーターとして、毎月の実践会を続けています
- 毎月、市の子育て支援センターでベビーマッサージ教室を開いています
- タッチケアの記事を百本以上書いてきました
- Podcast『愛でいっぱいまるまるタッチ』を、二百回を超えて、毎週配信し続けています
- 三児の母でもあります
「続けられる形にする」と、私たちはよく言っています。二百回、毎週。続けてこられたのは、特別な力があったからではなくて、続けられる形に、しつづけてきたからなんです。
ベビーマッサージ教室で、私がいちばん嬉しい場面があります。赤ちゃんのために来たお母さんが、「自分も疲れていた」と気づいて帰る瞬間です。子どものために始めたことが、いつのまにか、自分の回復になっている。——この場所でやろうとしていることも、まったく同じなんです。
正義感が強くて、おかしいと思ったことを、そのままにしておけない性分です。そのぶん、つらい時期も、いくつも通ってきました。それでも、「必ず解決はある」と信じて、次の一歩を探す——それだけは、やめずにきました。
かつて、私を長く見てくださった先生に、「問題が起きたとき、反省したり悩んだりする時期は誰にでもある。けれどあなたは、それ以上に『では、次に何ができるか』へ移っていく」と言っていただいたことがあります。いまも、その言葉のとおりでいたいと思っています。
説明は、教材にお任せしています。いまも、よどみなく話すタイプではありません。私がやるのは、その先——続かない日をどう越えるかを、一緒に考えることなんです。
なぜ、この場所をつくったのか
クリニックの現場に立っていて、ずっと見てきたことがあります。診察室でお渡しできるのは、診断と治療です。それは医療の仕事で、これからも変わりません。
でも、ご家族がいちばん困るのは、診断がついた瞬間ではなくて、その次の毎日のほうなんです。何を食べるか。どう声をかけるか。うまくいかない日を、どう越えるか。——それは、診察の数分には、どうしても入りません。
医療の外側に、引き受け手が要る。そう思ったのが、この場所の始まりです。代表は、私が引き受けました。
ここでは、子どもを診断名や制度の枠ではなくて、「いま困っているかどうか」で見ます。
夫の小森は、監修です。教材の医学的な土台と、どこまでが教育で、どこからが医療なのかという線を引くこと。そこは、医師の仕事として任せています。
続けられる形にしたかった、というのも大きな理由です。熱意だけでは、続きません。一人の頑張りに頼っているうちは、その人が倒れた日に終わります。だから、渡せる形にしました。
そして、囲い込みません。私自身、自分の子育てでいちばん助かったのは、「一つの機関だけでなく、いろんな機関との結びつきが得られたこと」でした。私たちも、頼れる先のうちの一つでいい。——そう決めています。
監修・小森のこと
そして私自身も、その「枠に収まりきらない」側の子どもでした。
小児外科専門医・医学博士として、生と死の狭間にある子どもの体に、二十年、手を触れてきました。高度専門医療と地域医療の、両方を通ってきています。だから、渡せるものがあります。教材の医学的な土台は、私が引き受けます。
どんな道を通ってきたかは、小森広嗣の役割と経歴に書いています。
学んだことは、実践してはじめて力になりました
私は『7つの習慣』を学ぶまで、家族のことを表面でしか見られませんでした。一人で苦しんでいた時期があります。ものの見方——パラダイムという言葉を知って、世界はずいぶん広がりました。けれど、知っただけでは、実践は伴いませんでした。
この間に起きたことは、エッセイ「学んだのに、変われない」──知っていることと、できることのあいだに書きました。
本物の喜びは、コツコツと謙虚に努力した先にある。——私たちの家の理念です。この場所でお渡ししたいのは、知識そのものよりも、知識が力に変わる形のほうです。
実践は、いまも続けています。続けている人にしか見えない景色がある——それが、私たちが行動で確かめてきたことです。よければ、ご一緒しませんか。
二人で、ひとつ
私たちがしていることを、一行ずつにすると、こうなります。
夫がしているのは、その人が本来持っている生命力を、取り戻すお手伝いです。体の土台を整えて、材料を渡して、進む方向を示す。——ここまでが、医学の側の仕事なんです。
私がしているのは、その先を、一緒に歩くことです。愛は気持ちではなくて、動詞だと思っています。楽しく生きる方法を、そのご家庭に合う形で探しながら、隣にいます。
励ますのは、いつかご自身で、自分を励ませるようになるためです。そこまで隣にいて、そこからは少し離れて、見守る側に回ります。
取り戻すことと、楽しく生きること。——どちらが欠けても、続きませんでした。
備える人と、照らす人
——ここからは、ちあきの隣にいた、私(小森)の話です。
私は小児外科医です。手術の前には、起こりうる最悪をすべて数え上げます。そうしなければ、子どもの命を守れないからです。先を読み、手を打ち、あらゆる場合に備える。それが私の性分になりました。
ただ、その性分は、診察室を出ても止まりません。考えを張り巡らせすぎて、休み方を忘れます。機関車のように走り続けて、気づけば疲れ果てている。止まればいいと分かっていて、止まれない。
その隣で、いつも先に動きだしていたのが、ちあきです。理屈ではありませんでした。明るさでした。——千の明るさと書いて、ちあき。名前のとおりの人だと思っています。
問題が起きないことは、ありません。それでも、「必ず解決はある」と信じて、諦めません。その前へ進む力は、本当にすごいと思っています。
どちらか一方では、たぶん進めませんでした。その違いを、どちらかに合わせるのではなく、尊重したまま歩いてきました。
ちあきは、私を止めません。代わりに、照らします。張り巡らせた考えの中で、どちらへ進めばいいのかが、ふっと見える。暗くなった場所に、灯りをともす人です。私の人生に色がついたのは、そこからです。その明るさに、私は幾度となく救われてきました。
教室で先に持っていた眼差しを、自分の家で、いちばん難しい形で試された人です。教える側で持っていたものを、母として試された。——どちらか一方なら、代わりはいます。両方を通った人は、そういません。
一つのことをやり遂げる階段を、私は登り切りました。掘り切ったからこそ、次に広げるものが見えました。ただ、その一歩は一人では踏み出せませんでした。先に動きだしたのは、いつも隣でした。
この転機のことは、エッセイ最悪を数えるのは、最善を取りにいくためですに書きました。
同じような方は、少なくないと思います。真面目に働いてきた。手は抜いていない。それなのに、どこかで息が詰まっている。——この場所は、そういう方のためにもあります。
言葉が出るのが遅かった子が、人を照らす大人になることがあります。私は、それを間近で見てきました。
ちあきが生活と共感で家庭に届け、私が医学と原則でその設計図を描く。
どちらか一方では、届きません。
「栄養で体を整え、心を育てる」——
二人がそろって、はじめてLifeCrescendoになります。
まずは、声を聴いてみてください
Podcast『愛でいっぱいまるまるタッチ』——ちあきの声が、いちばん早く伝わります。

