枠に収まらない力には、出口が要ります ── 始業式の日の、校歌のテンポ

ひとつ、場面をお話しします。

 

ちあきは、もともと特別支援学校の教員でした。音楽を教えていました。

 

始業式の日のことです。興奮が収まらなくなった生徒がいました。誰が声をかけても、止まりませんでした。

 

ちあきがしたのは、注意することではありませんでした。校歌を、いつもの一・五倍ゆっくりのテンポで弾いたのです。

 

そのテンポに合わせて、ゆっくり体を動かすうちに、その子は落ち着いていきました。

 

環境を、少し変えてあげる。それだけで、本人はリラックスして、むしろ楽しむことができる。

 

——この場所でやろうとしていることも、同じです。エネルギーを抑えるのではなく、出口のほうを変える。

 

外へ暴れる形は、「扱いにくさ」として語られます。けれど近くで見れば、大きなエンジンを積んで生まれたのに、体がまだ小さい——出力を持て余して、本人がいちばん苦しんでいます。

 

内にこもる静かな形は、見過ごされます。エンジンは同じ大きさなのに、外に音が出ていないだけです。根は同じです。エネルギーが外へ出るか、内にとどまるか。出口が違うだけです。

 

合わせたいのに、合わせられない。それでいて、心のどこかでは、合わせたくもない。——そんな感覚に、覚えはないでしょうか。

 

合わないと感じるのは、どうでもいいと思えないからです。こだわらずに、目の前のことだけを楽しむ——そういう過ごし方もあります。それでも、そうはしたくない。自分の生き方を、いいかげんにしたくない。

 

その思いが強い人ほど、いまの形には収まりません。

 

そして、ひとつだけ、確かなことがあります。
芽が出てしまったら、もう閉じられません。そういう生き方をしたいと、一度気づいてしまった人は、気づかなかった頃には戻れない。それは、意志の強さの話ではなく、原則です。
——だとすれば、あとは咲かせていくしかありません。

 

だから、その苦しさには、行き先があります。

 

それは弱さではなく、まだ使われていないエネルギーの音だと思っています。

 

私たちが、ご一緒する先

 

ただし、自分らしく生きるということは、自分勝手とは違います。

 

まず、自分をそのまま受けとめる。そのうえで、自分とは違う人を信頼して、尊重する。そうして自分の色と、違う色とが響き合ったとき——足し算ではなく、掛け算が起きます。

 

自分を持っていない人は、他人に合わせることしかできません。自分しか持っていない人は、一人分の力で終わります。
自分の軸を持ったまま、人と響き合える人だけが、何人分もの力を発揮できます。

 

枠に収まらない人が、社会から外れるのではなく、社会をより良くする側に立つ。

 

——私たちは、そこまで、ご一緒し続けます。

 

この記事は、トップページから独立させたものです。まずは声から——Podcast『愛でいっぱいまるまるタッチ』