この記事を書いた人
栄養カウンセラー ちあき
この記事でわかること
- 同じ出来事でも、受け取り方で一日が変わる理由
- 出来事と反応のあいだに「スペース」を置くということ
- 見方が限界にきたときに、人の目を借りる方法
学校からの電話に、身構えてしまった私
こんにちは、『7つの習慣®』実践会認定ファシリテーターのちあきです。
スマホに学校の番号が表示された瞬間、心臓がぎゅっとなったこと、ありませんか。
うちの子は、毎日一緒に暮らしていると「またやらかしたか」と思うようなことが、正直、けっこうあります。だから先生から「お子さんのことでお話が」と電話がかかってきた時も、私は反射的に「すみません、何かやらかしましたか」と言っていました。
先生の答えは、こうでした。
「いえいえ、学級委員としてエクセルを使って、みんなのためにすごく素晴らしい表を作ってくれて。ありがとうございます」
お礼の電話だったんです。
受話器を置いてから、じわじわ恥ずかしくなりました。同じ一本の電話なのに、私は最初から「悪い知らせ」の側に立って受け取っていた。もし私が「うちの子は優秀だ」と思って暮らしていたら、きっと「あら、何かしら」と受け取っていたはずなんですよね。
同じ出来事なのに、受け取り方がこんなに違う
これ、子どものことだけじゃないなと思うんです。
仕事の現場では、厳しいお言葉をいただくことがあります。同じ言葉をかけられても、「責められた」と受け取ることもできるし、「もっと分かりやすく伝えられたかもしれない」と受け取ることもできる。
厳しい言葉をいただくわけではないのに、もどかしくなることもあります。こちらの伝えたいことが思うように届かなくて、話がすれ違ったまま終わってしまう。ちゃんと伝わっていれば、お互いもっと楽だったはずなのに、と思う。もったいないな、という状況です。
出来事はひとつ。なのに、そのあとに広がる景色がまったく違うんです。
「決めつけ」は、いつのまにか自分の中にできている
私がこの電話で「やらかした」と思い込んだように、私たちは自分でも気づかないうちに、ものの見方のフィルターを一枚かけて世界を見ています。
そしてこのフィルターは、しんどい時ほど厚くなるんですよね。
疲れている時、忙しい時、余裕がない時。「相手が悪い」「あの人のせいだ」「環境が悪いんじゃないか」「だって忙しかったんだもん」。なりがちですし、やりがちです。私も、そうでした。
出来事は選べないけれど、受け止め方は選べる
『7つの習慣』には、刺激と反応の間には選択の自由がある、という考え方が出てきます(書籍の78ページあたりです)。
起きてしまった出来事そのものは、私たちには選べません。学校から電話がかかってくることも、厳しい言葉をいただくことも、こちらの都合ではやってこない。
でも、それをどう受け止めるかは、選べるんです。
「傷ついた」を選ぶこともできる。「私に何ができたんだろう」を選ぶこともできる。どちらもちゃんと、自分の選択なんですよね。
「スペースを置く」ための、ワンフレーズを持っておく
とはいえ、言われた瞬間にそんな冷静な選択ができるかというと、私はできません。スポンジみたいにサーッと吸収して、そのまま落ち込みます。
だから私は、いったん止まるための合図になる短い言葉を、自分の中に一つ持つようにしています。
私の場合は「あ、師匠がやってきましたね」です。
うまくいかなかった出来事は、自分に何かを教えに来た師匠なんだと思うようにしていて。だから、来たな、と。
厳しい言葉をいただいた瞬間、あるいは「うまく伝わらなかったな」ともどかしくなった瞬間に、心の中でこれを唱える。それだけで、飲み込む前にほんの少しだけ、間ができるんです。この間のことを、私はいつも「スペースを置く」と呼んでいます。
スペースさえ置ければ、そこから先は選べます。それでも傷つくことを選んでもいいし、「今回はもう仕方がない」でもいい。正解はありません。
大事なのは、選んだという自覚があること。それだけで、飲み込まれ方がまるで変わります。
解釈が変わると、そのあとの一日が変わる
なぜここにこだわるかというと、受け止め方は、そのあとの行動を確実に連れてくるからです。
「責められた、傷ついた」で終わった日の午後って、どんな感じでしょうか。集中力は落ちて、やる気も削がれて、頭の中では悪いことばかりが再生される。夕飯の支度も、なんだか雑になりますよね。
一方で「師匠が来たな」と受け取れた日は、次は気をつけようという具体的な一手を考えながら動けます。不思議なもので、そういう日はむしろパフォーマンスが上がっているんですよね。
同じ出来事から始まった一日なのに、です。
見方が限界にきたら、人の目を借りる
私はもともと負けず嫌いで、子どもの頃は剣道をしていました。試合に負けると、悔しい。でも不思議と、悲しいとは思わなかったんです。「悔しい」が先に立つと、次は「なんで負けたんだろう」が自然に出てくる。そうすると先生に聞きに行くし、親にも「私の試合どうだった」と聞く。聞かなくても言ってくるんですけどね(笑)。
その頃から実感しているのですが、自分の動きや言い方、まとっている雰囲気って、自分では見えないんです。
だから、どうしても解釈を変えられない時、傷ついたまま抜け出せない時は、人に聞くのが一番早いなと思っています。
「こういうことがあったんだけど、今の私の見方だと、どうしても解決策が見つからなくて。どう思う?」
親でも、友人でも、職場の誰かでもいい。相談すると、自分にはなかった視点が吹き込まれてきます。歯車が、また回り始めるんです。
これは、相談する勇気とセットなんですよね。若手を見ていても、もっと相談すればいいのにと思うことがあります。でもそれは私自身にも返ってくる言葉で、いざ行き詰まった時に相談できる相手を持っているかというのは、けっこう大きな問題だなと最近思っています。
今日からできる、たったひとつのこと
うまくいかないことが続くと、環境をガラリと変えたくなります。
でもその前に、自分の見方を一度だけ変えてみる。そしてその見方が自分の中で限界にきたら、人にはどう見えているのかを聞いてみる。
順番はこれだけで十分なんです。
出来事は変わりません。変わるのは、出来事の解釈のほう。そしてその解釈が、明日の自分をつくっていきます。
今日はまず、自分にとっての「スペースを置く」ためのワンフレーズを、ひとつ決めるところから一緒に始めませんか。私の「師匠がやってきましたね」でもいいですし、「はい、ここで一回止まる」でも構いません。
言われた一言に飲み込まれてしまう日があっても、それはあなたが弱いからではありません。ただ、間の置き方をまだ練習していなかっただけなんです。
なお、この『7つの習慣』を何人かで少しずつ読み進める実践会も、静かに続けています。一人で読むと忘れてしまうことも、誰かと一緒に読むと不思議と残るんですよね。今はゆっくりとしたペースでやっているのですが、ご縁があればまたどこかで。
合わせて読みたい
・怒る前に「間」を置く。『7つの習慣』の刺激と反応のあいだ——子どもに怒鳴りそうな瞬間の、3つの小さな手順
・7つの習慣とパラダイムの力 〜ものの見方が人生を変える〜
・子どもが学校に行けない朝、自分を責めてしまうお母さんへ|「まだ3日だよ」の一言で救われた話
LifeCrescendo が目指しているのは、困りごとが消えることだけではありません。栄養で体と心の土台を整え、その先で、子どもとご家族が「楽しく生き続ける」ところまで、一緒に歩むこと。いまの困りごとから、1つ、2つずつで大丈夫です。(私たちが大切にしていること)
栄養カウンセラーのちあきが、家庭で続ける心と体の栄養のヒントを、LifeCrescendo の公式LINEでお届けしています。
この記事をお届けした人

ちあき
心と体の栄養カウンセラー | ライフクレッシェンド株式会社 代表
── ライフコーディネーターとして、ご家族の食卓と、毎日の選択の隣にいます
特別支援学校の教員でした。教えていたのは、音楽です。言葉にならない声を、聞き取る仕事でした。その聞き取り方を、いちばん近いところで試されたのが、わが子の子育てです。わが子の発達に悩み、「私の愛し方が足りないのだろうか」と自分を責めた日々もありました。転機は、体の土台を整える「栄養」でした。
メロディーは、その人のもの。私が変えるのは、リズムのほう。
小児外科専門医のクリニックで、子どもと家族の栄養カウンセリングを重ねてきました。いまも毎日、現場にいます。2019年の秋からは、地域の親子ひろばなどで、ベビーマッサージ・タッチケアの教室も開いています。
弘前大学 教育学部 障害児教育課程卒。特別支援学校教諭一種免許(知的障害・肢体不自由・病弱)、中学校・高校 音楽教諭一種免許。オーソモレキュラー・ニュートリション・エキスパート(ONE)認定。『7つの習慣®』実践会認定ファシリテーター。3児の母。
▼ 日々の気づきは、Xで
ちあき|こどもの栄養カウンセラー×3児の母🌱 @LifeCrescendoC
