今週も、LifeCrescendoの探求の旅にご一緒いただき、ありがとうございます。
今週、私たちは、慌ただしい日常や、子育ての中で直面する困難という「当たり前の景色」に、どれほど多くの宝物が隠されているかについて、皆様と共に考える一週間となりました。
週前半の探求:「忙しい」という幻想から、愛ある時間へ
週の始まり。
ライフコーディネーターちあきからは、「忙しいことは、充実していることだ」という、私たちがいつの間にか囚われてしまう“幻想”に、そっと光を当てる手紙が届けられました。
時間がない、のではなく、何を優先するのか。
「愛は動詞」という哲学を、日々の暮らしの中で実践するための、彼女自身の素直な気づきと、具体的なヒントがここにあります。
▼ ちあきのnote記事「声の便り」はこちら
「忙しい=充実」って、本当かな? “愛ある時間”を取り戻すために、私が手放した、たった一つのこと。
週半ばの探求:「癇癪」という、最高の贈り物
週の半ば。
哲学医は、多くの親が頭を悩ませる子どもの「癇癪(かんしゃく)」そのものに、全く新しい光を当てました。
なぜ、あの激しい感情表現が、子どもの成長にとって、そして、親子の絆にとって、最高の「贈り物」になり得るのか。
困難の裏側にある「本質」を見抜くことで、悩みを希望へと転換する「金継ぎ」の思考を、解き明かします。
▼ 哲学医のnote記事「人生の処方箋」はこちら
X(旧Twitter)での対話:あなたの「癇癪」の思い出は?
そして、Xでは、これらのテーマを受けて、皆様との対話が続いています。
今週は、こんな問いかけから、多くのご自身の体験談や、温かい共感の声が集まりました。
哲学医がnoteで書いた『癇癪は贈り物』という話。
読みながら、自分の子どもの頃を思い出していました。
皆さんご自身の、幼い頃の「癇癪の記憶」って、何かありますか?
どんな時に、どんな気持ちで、爆発してしまったか。
そして、周りの大人に、どうしてほしかったか。
よければ、教えてください。
あなたご自身の、心の奥にある「癇癪の記憶」は、どんな風景を映し出していますか?ぜひ、下のリンクから、私たちの対話の輪に加わってみてください。
▼ Xでの対話はこちらから