哲学医 哲学医（小森 広嗣）：
この記事は、かつての私のように、あるいは、今まさに壁の前で立ち尽くしている、かつての私のような、あなたへ向けて書いています。
「なぜ、自分だけが、こんなに時間がかかるのだろう」
「どうして、あの人のように、器用にできないのだろう」
そんな、焦りや、もどかしさ、そして、自分に対する情けなさの中で、静かに歯を食いしばっている、誠実なあなたへ。
結論からお伝えします。その「うまくいかない時間」こそが、あなたという人間を、誰よりも遠くへ、そして、長く走り続けられる本物のプロフェッショナルへと鍛え上げる、最高の資産なのです。
これは、単なる精神論ではありません。私自身の人生が、何よりの証拠です。
私の人生における「農場の法則」
振り返れば、私の歩みは、常にこの原則と共にありました。
一人前の小児外科医になるまでの道は、果てしなく長く、険しいものでした。ミリ単位の精度が求められる手技。寝る間も惜しんで知識を詰め込み、それでも追いつけないと感じる日々。先輩医師の圧倒的な技量の前で、自分の不甲斐なさに唇を噛んだ夜は、数え切れません。まさに、最初の「農場の法則」の実践でした。
そして、地域に根差したクリニックをゼロから立ち上げた時。それは、第二の「農場の法則」の始まりでした。メスを置いた手に、今度は経営という全く違う重圧がのしかかります。理想の医療を掲げても、すぐには伝わらない。スタッフとの関係構築、資金繰りの不安。悪戦苦闘の毎日の中で、「なぜ、こんなにもうまくいかないのか」と、何度も心が折れそうになりました。
この二つの、長く、もどかしいプロセス。それこそが、私の「エネルギータンク」を、静かに、しかし、確実に満たしていったのです。
「エネルギータンク」が満たされる時
想像してみてほしいのです。あなたの心の中には、一つの巨大な「タンク」があります。
物事がうまくいかず、もどかしい時。悔しくて眠れない夜。自分の不甲斐なさに、情けなく、惨めな気持ちになる時。そのネガティブに思える感情の一つひとつが、実は、そのタンクを満たす貴重な「エネルギーの素」として、着実に注ぎ込まれています。
そして、来るべき日、あなたがその壁を乗り越え、「できる」ようになった瞬間。
その液体は、一瞬にして、極めて純度の高い、持続可能な「走行エネルギー」へと化学変化を起こすのです。
この「エネルギータンク」が大きければ大きいほど、満たされるまでに時間がかかればかかるほど、そして、注がれた悔しさの量が多ければ多いほど、あなたが走り出す時のパワーと、その後の持続力は、圧倒的なものになります。
「すぐに結果を出す人」の、脆さの正体
そしてこの原則は、驚くほど、個人の成長にも当てはまります。特に、「すぐに結果を出す人」が陥りがちな、脆さとなって現れるのです。
手っ取り早くスキルを学び、目先のトレンドに乗り、大きな苦労なくして結果を出してしまう。一見、それは羨ましく、輝いて見えるでしょう。しかし、彼らはしばしば、驚くほどあっけなく、その道を諦めてしまうことがあります。
なぜでしょう。
ビジネスの世界で言えば、彼らは、かつての「ドットコムバブル」の渦中にいた企業と似ています。明確な収益モデルや使命という土台がなくても、時代の追い風だけで急成長できた。しかし、ひとたび風が止めば、その脆弱な土台では自らを支えきれず、泡のように消えていきました。
より最近のスタートアップの世界で言う「時期尚早のスケーリング（Premature Scaling）」も同じです。組織や事業の土台が固まる前に、性急に規模の拡大を急いだ結果、自らの重さに耐えきれずに崩壊してしまうのです。
彼らは「農場の法則」を無視してしまった。種を蒔き、水をやり、雑草を抜き、嵐に耐える。その地道で、時に退屈なプロセスを省略して、一夜にして豊かな収穫を得ようとした。その結果、どんな逆境にも揺るがない、深く、強い根を張ることができなかったのです。
結びにかえて：あなただけの「人生の処方箋」
簡単に「できた」人は、驚くほど簡単に諦めてしまいます。
なぜなら、彼らのエネルギータンクは、空っぽだからです。初めて本物の壁にぶつかった時、困難を乗り越えるための粘り強さも、そして、何より「なぜ、自分はこれをやるのか」という根源的な問いから湧き出るエネルギーも、蓄積されていないのです。
しかし、あなたは違います。
できなかった。もどかしかった。悔しかった。
その悶々とする時間が長ければ長いほど、あなたのタンクは、今、この瞬間も、満たされ続けているのです。それは、あなたが真剣に、誠実に、目の前の現実と向き合っている、何よりの証拠です。
だから、焦ることはありません。他人と比べる必要もないのです。
あなたが今、感じているその痛みは、決して無駄にはなりません。それは、あなただけの物語を紡ぎ、あなただけの「金継ぎ」の輝きを生むための、不可欠なプロセスなのですから。
【哲学医の人生の処方箋】
今の「うまくいかない時間」を、未来のための「エネルギーの蓄積期間」と再定義してください。その悔しさの量こそが、あなたが将来、発揮できる力の総量です。
あなたのタンクが満たされる日を、そして、そこから力強く走り出す未来を、私は心から信じています。