こんにちは、哲学医の小森です。
多くの医師がそうであるように、私のキャリアもまた、巨大で堅牢な「城」のような病院から始まりました。そこでは「正しさ」が絶対的な価値を持ち、精緻な地図の上で、いかに間違いなく目的地に到達するかが全てだと信じてきました。
しかし、ひとたび地域という名の大地に降り立った時、その城で学んだはずの地図が、時に、全く役に立たないことを思い知らされるのです。
目の前に広がるのは、教科書に載っている典型例など稀な、無数の「グレーゾーン」。同じ病名のはずなのに、千差万別の症状を見せる人々。そして、昨日と今日で、まるで別人のように状態が「揺らぐ」、生命の予測不能なダイナミズム。
「正しさ」とは、一体、何だったのだろうか。
この問いへの答えを探す旅が、私の「哲学医」としての、始まりでした。今日は、その旅の途中で書き綴ってきた、私自身の「地域医療の教科書」の、最も大切なページを、皆さんと共有したいと思います。
第一章:我々は『診断』ではなく『状態』を診る
地域医療の現場で、私たちは「診断(Diagnosis)」という言葉の呪縛から、一度、自由になる必要があります。
生の生活の中で突然訪れた不調の、その一瞬を切り取って、全てを言い切ることなど、本来、不可能に近い。したがって、私たちの第一の使命は、「診断をつけること」ではなく、目の前の患者さんの「状態を把握し、共有すること」です。
- 活気はあるか、ないか。
- 水分は摂れているか。尿は出ているか。
- バイタルサイン(生命の兆候)は、穏やかか。
- 患者さんやご家族の人生ストーリーはどのような状況か。
これらの生命の根幹に関わる「状態」こそが、全ての判断の土台となります。診察とは、医師が一方的に正解を宣告する行為ではありません。それは、患者という旅人と共に、現在地を確認し合う、対等な共同作業なのです。
第二章:『一本の線』ではなく『複数のシナリオ』を語る
「揺らぎ」が常であるこの大地において、未来を一本の線で予測することは、不誠実ですらあります。
私たちが提供すべきは、断定的な予言ではない。考えうる未来の可能性を、複数の「シナリオ」として、誠実に提示することです。
「現時点での状態から考えると、Aという可能性が最も高いでしょう。しかし、もし明日、Bという症状が出てくれば、Cという別の道を考える必要があります。ですから、今夜はこのように過ごし、もしBの兆候が見られたら、すぐに連絡をください」
このように、考えうる未来を共有しておくこと。それは、漠然とした不安を、具体的な「備え」という名の安心に変える、信頼構築のプロセスだと、私は信じています。
第三章:『知の権威』ではなく『誠実な水先案内人』であれ
私たちは、全知全能の神ではありません。当然、分からないこともあります。その事実から、決して目を背けてはならない。
地域医療において、「分からない」と認める勇気は、「知っている」と断言する傲慢さよりも、はるかに尊い。
「この皮膚の所見は、私には判断が難しい。しかし、お子さんの状態は今すぐ急ぐものではありません。数日以内に、必ず最高の専門家へ繋ぎます」
自らの限界を正直に認め、患者の安全のために最善の道を指し示すこと。それこそが、「誠実な水先案内人」としての、最高の責任の果たし方なのです。
第四章:病ではなく『人生』に処方箋を
目の前で、咳に苦しむ子どもがいる。私たちの仕事は「気管支喘息かどうか」という診断名をつけることだけに終始してはなりません。
まず為すべきは、その子の苦痛を和らげること。そして、その病を抱えながら、どうすれば学校生活を送り、友人たちと笑い合い、家族と穏やかに過ごせるのか、という具体的な「人生の過ごし方」を、共に考え、提案することです。
これこそが、私たちの掲げる「全人格的アプローチ」の神髄。私たちは、病ではなく、その人の「人生」に処方箋を書くのです。
結びにかえて:道を創る、旅の仲間たちへ
この「教科書」は、まだ余白だらけです。
地域医療とは、完成された地図をなぞる旅ではありません。それは、教科書に答えのない大地を、患者という『旅の仲間』と共に、一歩、また一歩と、手探りで道を創っていく、尊い営みそのものです。
この記事が、かつての私のように、医療の「正しさ」と「現実」の間で、静かに思い悩む、誠実な誰かのための、小さな灯火となることを、心から願っています。
これから「小森塾」では、この教科書の各章を、より深く掘り下げていこうと思います。私たちの旅は、まだ始まったばかりです。