なぜ、あの人は信頼されるのか?――哲学医が語る、結果よりも「格闘する姿勢」が価値になる時代の人間関係論

哲学医(小森 広嗣):

この記事は、日々、誠実に人と向き合おうとする、志あるあなたへ向けて書いている。特に、私たちのチームの一員として、共に理想の医療を追求する仲間たちに、一度、深く立ち止まって考えてほしいテーマだ。

これは、人間関係における「本質」を見抜くための、そして、人生を共に歩むべき仲間を選ぶための、私なりの「物差し」についての話だ。

「優しい先生」という言葉の裏で

先日、担当医として保育園を訪れた時のことだ。

子どもたちの屈託のない笑顔に囲まれ、先生方からは「小森先生は優しくて、いい先生ね」と、丁寧な言葉をかけていただく。もちろん、社会的なやり取りとして、私も笑顔で応じる。

しかし、その言葉を受け取りながら、私の心の奥深くでは、静かな問いが生まれている。

「彼ら彼女らは、本当に、心の底からそう思っているだろうか?」

「そもそも、人の価値は、そんな表面的な“優しさ”だけで測れるものなのだろうか?」

人間は、決してそんなに浅い存在ではないはずだ。
私が信じる「本質」は、常にその表面的なやり取りの、さらに奥深く、時に見えにくい場所に隠されている。そして、本質であろうとすればするほど、「原則」がその姿を現す。

原則とは、常に優しさと厳しさが表裏一体となったものだ。

だからこそ、私ははっきりと断言できる。「ただ優しいだけの人」というものは、この世に存在しない、と。

行動にこそ現れる「信頼もどき」の正体

私たちは、あまりにも簡単に「信頼」という言葉を口にしすぎていないだろうか。

現場の最前線にいると、その言葉の軽さと、行動の不一致に、何度も直面させられる。

例えば、診察の場で「先生のことを本当に信頼しています」と熱心に語る方がいるとしよう。言葉だけを受け取れば、これほど嬉しいことはない。

しかし、その方の行動を注意深く観察してみると、全く別の顔が見えてくることがある。

  • 「早く見てほしい」「待ち時間は少ない方がいい」と、自分の都合を優先する。
  • こちらが最善と信じて提案した治療方針に対し、費用や手間を天秤にかけ、自分の損得勘定が顔を覗かせた瞬間に、態度ががらりと変わる。
  • 診察室の中では柔和な態度なのに、一歩外に出た途端、スタッフに対して高圧的な空気を放つ。

これを、果たして「信頼」と呼べるだろうか?

私には、そうは思えない。

それは「信頼」ではなく、「自分の思い通りに動いてくれる、都合の良い人」を「好き」や「信頼」という言葉に置き換えているに過ぎない。それは「信頼もどき」だ。

もちろん、彼ら彼女らの世界観を否定するつもりはない。しかし、その浅いレベルの関係性の中に、私たちが目指すWin-Winの関係が築けるとは、到底思えないのだ。

正直に言えば、あからさまに態度が悪く、毎回それを一貫して示してくる人の方が、ある意味では「正直」で分かりやすい、とさえ感じることがある。最も厄介なのは、その場を取り繕うための「迫真の演技」だ。

私たちは、その言葉の裏にある「本性」を見抜いていく必要がある。それは、相手を断罪するためではない。自分自身が、そして、私たちが属するチームが、どのような信頼の土壌の上に立つべきかを、真剣に選択するためだ。

これが、私の信じる「本質の物差し」

では、人が持つ本当の価値は、一体どこに現れるのか。

見た目や、耳障りの良い言葉、その場限りのテクニックではない。私が、人間という存在に対して、唯一無二の価値を見出す「本質の物差し」。

それは、「その人が、どれだけ深く潜ろうと日々もがき、成長しようと苦しんでいるか」という、建設的な格闘の姿勢そのものだ。

人間は、聖人君子ではない。

どれだけ良い人に見えても、その内側には必ず暗い闇の部分を抱えている。逆に、どれだけ闇が深く見えても、そこには必ず光も存在している。この二面性こそが、人間のリアルな真実だ。

大切なのは、完璧であることではない。

不完全であることを自覚し、それでもなお、昨日より今日、今日より明日へと、より良くあろうと格闘し続ける力。人生の「ヒビ割れ」から目を背けず、それを輝きに変えようとする意志。

私は、その「姿勢」にこそ、その人の本質が凝縮されていると確信している。

それは、頭の中だけで反省を繰り返して立ち止まることではない。「できたか、できなかったか」という二元論で悩み、行動を止めてしまうことでもない。たとえ不完全でも、格好悪くても、目の前の現実に対して、ただがむしゃらに、本気で没入していくその熱量。その建設的な格闘の中にこそ、本物の成長と、信頼に足る人間の輝きが宿るのだ。

【人生の処方箋】あなたは、どちらの世界で生きたいのか?

ここまで読んでくれたあなたは、おそらく、表面的な人間関係にどこか虚しさを感じ、より深く、本質的な繋がりを求めているはずだ。

最終的に、問われるのは、ただ一つ。

「あなたは、どちらの信頼の世界で、人生を歩んでいきたいのか?」

その選択こそが、あなた自身の人生、そして、私たちが共に創り上げていく未来を決定する。そのための「本質の物差し」を、今日の処方箋として、あなたに渡したい。

処方箋1:言葉ではなく、行動を見よ。

特に、その人の「損得」が絡んだ瞬間の行動にこそ、本性が現れる。心地よい言葉に惑わされず、その一貫性を見極めること。

処方箋2:人の価値を結果で測るな。

反省だけで立ち止まらず、不完全なまま没入していく「格闘の姿勢」そのものに敬意を払うこと。完璧さではなく、そのがむしゃらな熱量こそが、その人の持つ本当の強さと美しさだ。

処方箋3:自らに問え。「私は、誰の隣で生きたいのか?」と。

この物差しは、他者を測るためだけのものではない。あなた自身が、本質的な信頼関係を築くに値する人間であるか、常に問い続けるためのものでもある。

浅い世界で、心地よい「信頼もどき」に囲まれて生きていくことも、一つの生き方だろう。

しかし、私たちは、より深く、時に厳しくとも、本物の信頼で結ばれた仲間と共に、人生という壮大なクレッシェンドを奏でていきたい。

その覚悟がある者だけが、本当の意味で「人生を共にする仲間」と、出会うことができるのだから。

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哲学医

哲学医の小森です。メスを哲学に持ち替えた小児外科医として、物事の「なぜ」を深く問い、人生の再生に向けた「思考の設計図」を描いています。挫折という「ヒビ割れ」を、その人だけの輝きに変える「金継ぎ」の哲学を探求しています。

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