正しい「答え」を探すことをやめた時、人生という長い道のりを歩み続ける、静かで、本当の力が湧き出てくる。
こんにちは。
LifeCrescendoの、ちあきです。
そして、哲学医の小森です。
秋が深まり、木々の葉が一枚一枚、それぞれのリズムで大地へと還っていく季節になりました。空を見上げれば、高く澄み渡る青。そんな穏やかな景色を眺めていると、日々の慌ただしさの中で見失いがちだった、大切な感覚が呼び覚まされるような気がします。
それは、「結果」や「効率」を求める気持ちから少しだけ自由になり、ただ目の前にある、一つの道を歩み続けることの尊さです。
先週、私たちは偶然にも、それぞれ違う角度から、この「プロセス」そのものに宿る価値について、探求を深めていました。
今週のレポートでは、その二つの旅を一つの物語として紡ぎ直し、皆さんと一緒に、より深い思索の森へと分け入ってみたいと思います。
たとえ言葉に詰まっても、届けたい想いがあるから。
▼ライフコーディネーター(ちあき)の探求
ライフコーディネーターのちあきは、ポッドキャスト配信が158回を超えた自身の歩みを振り返りました。決して雄弁ではない彼女が、なぜ発信を続けることができたのか。その原動力は、「完璧な姿を見せること」ではありませんでした。
うまくいかない日も、落ち込んだ日も。その一つひとつを、かけがえのない「ちりつも」として抱きしめ、「不器用でも、あなたの存在そのものが宝物だよ」という、たった一つの想いを届けたい一心でマイクに向かい続けた3年間。
それは、完璧なゴールを目指すのではなく、今できる一歩を、ただ誠実に踏みしめ続ける「成長の螺旋階段」の物語です。
「正しさ」という病が、あなたの魂を蝕む前に。
▼哲学医(小森)の探求
一方で哲学医は、「正しい答え」を求めるあまり、かえって「生きる力」を失ってしまう現代の病に、警鐘を鳴らしました。
知識やエビデンスという「正解の地図」を熱心に読み解くことに夢中になり、自らの足で泥にまみれながら大地を踏みしめる「没頭」の時間を忘れてしまう。その結果、人生という料理を一口も味わうことなく、味見(テイスティング)だけで一生を終えてしまう虚しさ。
彼は、頭(知性)の声に耳を傾けすぎた私たちに、今こそ、自らの腹(魂)の声に耳を澄ませ、たとえ非効率に見えても、心が本当に求めることに打ち込む時間を取り戻す必要性を、静かに、しかし力強く問いかけます。
【今週の、私たちなりの結論】
二つの記事は、私たちに同じ真実を教えてくれます。
それは、人生の価値は、「正しい答え」にたどり着くことにあるのではなく、「歩き続ける」という、そのプロセスそのものに宿っている、ということです。
ちあきが続けた不器用な一歩一歩は、まさに哲学医が語る「魂の没頭」そのものであり、正しさという檻から自らを解放する、愛に満ちた実践でした。
もし、あなたが今、「もっとうまくやらなければ」「正しい道を選ばなければ」というプレッシャーの中で、足がすくんでいるのだとしたら。
どうか、思い出してください。
大切なのは、完璧な地図を完成させることではありません。たとえ道に迷っても、雨に降られても、ただ、今日の自分にできる一歩を踏み出すこと。
その誠実な「ちりつも」の先にこそ、あなただけの、誰にも真似できない美しい人生のクレッシェンドが響き渡るのですから。




