【哲学医の処方箋】「スマホの電源を切ったら、何をすれば?」と問う君へ。なぜ、現代の私たちは“空白の時間”をこれほどまでに恐れるのか。

LifeCrescendo
哲学医:小森 広嗣

ある日の午後、私の診察室に、一人の真面目そうな受験生が、母親に付き添われて座っていました。彼の悩みは「夜、眠れない」こと。受験を控えたこの時期には、決して珍しくない相談です。

私は、いつも通り彼の生活について、静かに耳を傾け始めました。

「平日は、学校が終わると塾に通っています。終わるのは、夜の10時です」
「その後は?」
「家に帰る前に、マクドナルドに寄って、1時間くらい勉強してから帰ります」
「家に帰るのは、11時過ぎくらいかな」
「はい。そこからお風呂に入ったりして、寝ようとするんですけど…」

眠れないんです、と彼は俯きながら続けました。

彼の話から、原因は明らかでした。夜遅くまでの学習による脳の興奮。そして、就寝直前まで浴び続ける、強い光の刺激。医学的に見れば、交感神経が高ぶり続け、心と体が休息モードに切り替われない、典型的な状態です。

しかし、私が本当に心を揺さぶられたのは、その後に続いた、彼の純粋で、あまりにも切実な問いでした。

「先生は、塾の後はまっすぐ家に帰って、スマホを見ずに、ぼーっとする時間を作りなさい、と言いますけど…」

彼は、少しの沈黙の後、心の底から不思議でたまらない、という表情で、私にこう尋ねたのです。

「スマホを見ないんだったら、寝るまで、一体何をしたらいいんですか?」

この言葉が、私の頭の中で、何度もこだましました。

これは、決して彼一人の特殊な問いではありません。むしろ、情報という奔流の中で、自らの意志でオールを漕ぐことをやめられなくなった、私たち現代人全員に向けられた、根源的な問いなのではないか。

この記事は、この誠実な彼のように、「何もしないこと」に言いようのない不安や罪悪感を覚えてしまう、すべての『旅の仲間』へ向けて書いています。

なぜ、私たちは「空白」に耐えられないのか

彼の問いの根底にあるのは、「空白の時間」への、ほとんど生理的な恐怖です。

私たちは、常に何かと「接続」されている状態が当たり前になりました。手元のスマートフォンは、無限の情報、尽きることのないエンターテイメント、そして他者との繋がりを、24時間提供し続けます。

その結果、私たちは思考や感情に「余白」が生まれることを、極端に嫌うようになりました。少しでも手持ち無沙汰になれば、すぐにポケットの中の四角い板に手を伸ばす。沈黙は気まずいものであり、非生産的な時間は「悪」であるかのように、無意識のうちに感じてしまっているのです。

受験生の彼にとって、マクドナルドでの1時間は、安心のための「お守り」だったのでしょう。周りに置いていかれることへの不安。努力していない自分を許せない、という真面目さ。その焦りが、彼を「活動」へと駆り立て続ける。

しかし、それは、人生という壮大な旅を走り抜くための、正しい戦略と言えるのでしょうか。

「農場の法則」に反する、危うい生き方

私たちがブランドの根底哲学としている「農場の法則」は、この問題に、一つの明確な答えを示してくれます。

農夫は、種を蒔いたら、収穫の日まで、ただ焦って畑を走り回ることはしません。水をやり、雑草を抜き、あとは静かに、土の中で芽が育ち、根が張るのを「待つ」ことの重要性を知っています。むしろ、その「待つ」時間こそが、豊かな実りにとって不可欠なプロセスなのです。

学びも、全く同じです。

知識を詰め込む行為は「種蒔き」にすぎません。その知識が本当に自分の血肉となり、知恵として発酵するためには、脳を休ませ、情報を整理・統合させるための「熟成期間」が絶対に必要です。

夜11時まで知識を詰め込み続ける彼の行為は、痩せた土壌に、夜通し種を蒔き続けるようなもの。土(脳)は疲弊し、せっかく蒔いた種も、深く根を張ることができない。これでは、どんなに努力を重ねても、長期的な成果には決して繋がらないのです。

私が彼に、睡眠薬ではなく、心身の緊張を穏やかにほぐす漢方薬を処方したのも、同じ理由です。強制的に意識を断絶させるのではなく、彼自身の力で、自然な休息状態へと心身を「整える」手助けがしたかった。それは、固くなった土を、優しく耕してあげる行為に似ています。

エネルギーは「消費」するものではなく「創造」するもの

私たちは、休息を「活動の停止」、つまりエネルギーの「消費を止める」だけの消極的な行為だと考えがちです。

しかし、LifeCrescendoのもう一つの哲学、「エネルギー創造の法則」は、全く違う視点を提示します。

休息とは、次なる活動のためのエネルギーを、能動的に「創造」する、極めて知的な時間である、と。

「ぼーっとする」という行為は、決して無駄な時間ではありません。その間、私たちの脳は、日中にインプットした膨大な情報を整理し、取捨選択し、過去の記憶と結びつけています。新しいアイデアの芽が生まれたり、複雑な問題への解決策がふっと閃いたりするのは、決まって、このようなリラックスした「空白」の時間の中なのです。

つまり、意図的に「何もしない」時間を選ぶことは、未来の自分への、最高の投資に他なりません。それは、前に進むために、一度しゃがんで力を溜める、あの行為と同じです。

【哲学医の人生の処方箋】

あの日の彼に、そして、画面の前のあなたに、私からの「処方箋」を贈ります。

1. 一日の終わりに、15分間の「静寂」を設けなさい。

これは「デジタル・デトックス」のような、何かを我慢する苦行ではありません。スマホも、本も、音楽もない、あなただけの神聖な時間を意図的にスケジュールするのです。窓の外を眺める。温かいお茶を、ただ味わう。呼吸の音に耳を澄ます。その静寂が、あなたの内なる土壌を、豊かに耕してくれます。

2. 休息を「未来への戦略」と再定義しなさい。

休むことに、罪悪感を覚える必要は一切ありません。「休むこと=明日の自分が、より良く活動するための準備」と捉え直してください。それは、最高のパフォーマンスを発揮するための、極めて知的な戦略です。あなたはサボっているのでも、停滞しているのでもありません。次なるクレッシェンド(だんだん強く)への、最も重要な準備をしているのです。

3. 自らの内なる声に、耳を澄ます術を思い出せなさい(瞑想)

「何をしたらいいか分からない」と感じた時こそ、チャンスです。それは、外からの情報に頼らず、自分自身の内側と対話する時が来たと、魂が告げているサイン。

その静寂の中でこそ、脳は、これまでに蓄積した無数の経験や知識を、静かに再整理し始めます。そして、まるで天からの啓示のように、ふっと新しいアイデアが閃いたり、ずっと悩んでいた問題に対する“答え”が、インスピレーションとして与えられたりすることがあるのです。どのような選択をすべきか、次に何をすべきか。その指針は、外側の喧騒の中ではなく、あなた自身の内なる静けさの中にこそ、すでにあるのです。

最初は落ち着かなくても、大丈夫。その声を聞き取る練習を続けるうちに、あなたは、自分の中から湧き上がる、本当に大切な声を、はっきりと捉えることができるようになるでしょう。

まとめ

人生は、100メートル走ではありません。時に荒れ狂う海を越え、時に穏やかな大地を歩む、どこまでも続く壮大な旅路です。

その長い旅を、自分らしく、豊かに歩み続けるために。

どうか、今夜、ほんの少しだけ、立ち止まる勇気を持ってみてください。
その「空白」こそが、あなたの明日を、より深く、美しい色で満たしてくれるはずですから。

この記事を書いた人

アバター画像

哲学医

哲学医の小森です。メスを哲学に持ち替えた小児外科医として、物事の「なぜ」を深く問い、人生の再生に向けた「思考の設計図」を描いています。挫折という「ヒビ割れ」を、その人だけの輝きに変える「金継ぎ」の哲学を探求しています。

▼哲学医の詳しい人物像や物語はこちら