小森 広嗣 プロフィール|小児外科専門医・医学博士/LifeCrescendo 監修医

手を当てる手、苗を植える手、灯りを差し出す手が左から右へ続く水彩画。

メスで、救ってきた。
栄養で、支えている。
言葉で、照らしていく。

ジャケットにタートルネック姿で笑顔の小森広嗣

なぜ、私が「教育」の側にいるのか

小児医療の現場に立って、三十年近くになります。そのうちの二十年ほどは、生と死の狭間にある子どもの体に、手を触れてきました。

手術は、成功します。それでも手術台を降りるたびに、同じ問いが残りました。

——もし上流で何かができていたら、この子は、ここに来なくてよかったのではないか。

下流で待っているのが、私の仕事でした。けれど、上流には誰もいませんでした。

その問いが、私を分子栄養学へ導きました。腸という構造を知り尽くした外科医が、その機能を栄養から見直す。——ここが、私の立っている場所です。

そしてもう一つ、長い臨床の中で確かめたことがあります。どんなに正しい言葉を届けても、体の土台が崩れていれば、心は受け取れません。

まず、栄養で体の土壌を整える。その上に、心を育てる。この順序を、私たちは大切にしています。

大切にしていること

私が信じていること

人は、変われます。生命には、もう一度立ち上がる力があります。診療の現場で来る日も来る日も見てきたのは、その力が戻ってくる場面でした。

だから私は、その場の安心だけをお渡しすることを、医療だとは考えていません。必要だと思えば、耳の痛いことも申し上げます。かといって、自分の正しさを押しつけることもしません。

原則には厳しく、人には優しく。——そこを外さないようにしています。

私が立ち会いたいのは、その人の中にもう一度火が灯って、「自分にも、できるかもしれない」と可能性がひらく瞬間です。三十年、この仕事を続けてきた理由は、結局そこにあります。

子どもと家族の生命に灯りをともし、成長していく喜びと可能性をひらく。——私の仕事を一行にすると、そうなります。症状を抑えることだけを目的にはしません。腸と栄養と体の構造という土台を整えて、その子が本来持っている力が戻るところまでを支えます。

私自身も、枠の外から来ました

学校に行けませんでした。人と関わるのが苦手でした。集団になじめませんでした。理由は自分でも分からないまま、ずっとどこか浮いていました。

やりたいことはある。夢もある。それなのに、仲間の輪にどう入っていけばいいのか、その関わり方が分からない。——ずっと、そうでした。

外科を志したときには、「君は向いていない」と言われています。それでも、続けました。

可能性を信じます、と申し上げるのは、きれいごとを並べたいからではありません。形にはまらなかった側から、ここまで来たからです。

世の中の形に、うまくはまらない。それでも、自分の場所で懸命にやっている。——そういう方たちと、一緒に歩きたいと思っています。

一点を掘り切ったから、次に広げられました

勤務医の頃、私は一つのことに全部を注いでいました。それは、間違いではありませんでした。専門医の技術は、分散させながらでは身につきません。二十年、それをやり切りました。

ただ、掘り切ったところで、問いのほうが変わりました。
人の命に関わる仕事です。やりがいは、確かにありました。それでも——本当に、これだけでいいのだろうか。

医師なのだから、命を助けるのは当然だ。そこにすべての時間を注ぐ。そう考えていました。その一点に届いたからこそ、次の問いが立ち上がったのだと思っています。

足りなかったのではありません。次に取りに行くものが、変わったのです。仕事も、体も、心も、家族も。どれか一つに寄せる段階を終えて、それぞれに手をかける段階に入りました。一つに寄せるほうが、実は簡単です。考えることが減るからです。

そしてもう一つ——一人でやろうとしないこと。

仲間の力を借りる。家族の力を借りる。それには、勇気が要りました。けれどそこから、私の人生は、何十倍にも広がっていきました。

私たちのこと(二人の話)

座右の銘は「天を相手にする」

西郷隆盛の言葉をまとめた『南洲翁遺訓』に、「人を相手にせず、天を相手にせよ」という一節があります。そこから採りました。

喜ばれるか。怒られるか。数が増えるか。——その反応だけで、判断を決めない。そういう意味で使っています。目の前の方の希望を軽んじることでも、自分の考えを押し通すことでもありません。

迷ったときは、一段高いところから問い直します。

  • この選択は、本当にこの子の未来にとって良いのか
  • いまだけでなく、数年後、もっと長い時間で見ても意味があるのか
  • 医療として、誠実か
  • その子が本来持っている、育つ力を損なっていないか

目先の満足より、長い目で見た利益を。その場の安心より、本質的な成長を。人の反応より、生命と未来を。——上に置くのは、そちらです。

ただし、人を置き去りにはしません。本質は曲げず、伝え方はやわらかく。言いなりにはならず、同時に、戦いもしない。

ご家族と医療者が向かい合って言い争うのではなく、同じ方向を向いて、子どもの未来を見る。そういう関係でありたいと思っています。

私にも、揺れがあります

怒り。不安。足りないという感覚。競争心。認められたい気持ち。失うことへの恐れ。——私の中にも、ひととおりあります。なくそうとは思っていません。

ただ、そこから人生や仕事を決めないようにしています。

心が動いたら、一度立ち止まって、「いま自分は、どこから判断しようとしているのか」と自分を見ます。怒っている自分を見る。不安になっている自分を見る。そのうえで、もう一度、原則のほうへ戻る。

感情を否定はしない。けれど、感情にハンドルは渡さない。

できている日ばかりではありません。それでも、戻り方は身についています。それが、二十年で手に入れたもののひとつです。

本当の意味で克服した、とは言いません。だからこそ、同じ道の途中にいる方と、共に歩み続けることができるのだと思っています。

LifeCrescendoでの、私の役割

私がここで引き受けているのは、監修です。教材の医学的な土台に、責任を持ちます。どこまでが教育で、どこからが医療なのか——その線を引くのも、私の仕事です。

代表は、ちあき。栄養カウンセラーとして、ご家族の食卓に伴走しています。私が医学と原則の面から設計図を描き、ちあきが生活と共感でそれを家庭に届けます。

——診断と治療は、医療機関の仕事です。ここでお渡しするのは、その先にある学びと実践です。

これから、やろうとしていること

医師という肩書きを守ること自体を、目的にはしていません。

小児医療は、私の根です。三十年近くのあいだに受け取ってきた知恵と技術を、診察室の中だけで終わらせたくないと思っています。教育に。文章に。仕組みに。——形を変えて、次のご家族へ、次の世代へ渡していく。

過去への恩返しではなく、未来への贈り物をつくる。そういう仕事だと思っています。

目指しているのは、二つです。

  • 医療者が、説明や書類仕事で消耗せずにすむこと。医学的な判断と、人にしかできない対話に、時間を使えるように
  • ご家族が、受け身のまま預けずにすむこと。自分で理解し、考えて、治療に参加できるように

その二つが自然に成り立つ形を、診察室の外側でつくっています。

現場には、立ち続けます。けれど、現場だけには閉じません。

大切にしていること

  • 人の可能性を、いまの状態だけで決めない
  • 原則には厳しく、人には優しく
  • 本物を、深く掘る——常識や流行より、本質のほうを
  • 人数ではなく、一人の中に起きた変化を数える
  • 誰かの頑張りに頼らず、続く仕組みにして渡す
  • 一人で完成させない——違う人、違う視点を力に変える
  • 面白がる力を、手放さない——真面目一色にはしない

経歴

  • 小児外科専門医・医学博士
  • 都立小児総合医療センター 外科医長などを経て、高度専門医療と地域医療の両方を通ってきました
  • 現在も、地域の子ども専門クリニックの院長として、日々診療を続けています

天に問い、人に寄り添い、仕組みで支える。